前書き
ブシブレを知らない方の為に軽い人物紹介をします。(よく考えたら訳分からないですよね、知らない方から見れば^_^;)
空蝉(うつせみ)…五歳の時に天涯孤独になり鳴鏡館で育つ。現在は56歳。酒と書画をこよなく愛す、裏の世界では知らない者はいない程の剣豪。
蛍火(ほたるび)…ロシア人。少女の頃父親をなくし一人になって以来、KGBで活躍し、後日本に渡り甲賀の里にて忍者の修行を積む。数年前鳴鏡館を訪れ陰に入る。師範代の事件の後一年間ニューヨークで過ごしていたが空蝉に呼び出され又鳴鏡館に戻ってきた。26歳。
下手な説明ですみません。因みに二人共あだ名です。本名ではありません。
遅咲きの恋
第一話:蛍舞う川辺
このままでいいと思っていた。
何も変える必要も、変わる必要もないと思っていた。
ワタクシの側にあの方がいて、あの方の側にワタクシがいる。
それだけでいいと思っていた。
あの日の、あの出来事までは…。
正直言って彼の進言には驚いたが少し嬉しかった。ワタクシの甲賀の里での後輩からの、一言。
かと言って返す言葉も浮かばないまま、返答に困っていたワタクシに彼は一言こう告げて帰っていった。
「いつまでも、待っています…。」
それからワタクシはどう返事をしていいものかとずっと考える様になった。早く返事をしなければと焦るが適当な科白は思い浮かばない。
ワタクシの心は最早決まっていた。
“ずっと、空蝉様と暮らしていたい…。”
けれどその様な返事は断る理由としては相応しくないものの様に思われた。
それでワタクシは適当な理由が見付からず焦りばかり募らせていった。
そんなある日の夜、
「蛍火、蛍を見に行かんか。」
いつもの夕飯の後片づけを終え一息ついていたワタクシにそう空蝉様が声を掛けた。
「もうその様な季節なので御座いますね…。」
じわじわと梅雨の足音が聞こえてきそうなこの季節、ワタクシの名前の由来となった蛍火が川近くに沢山見られるのだ。ワタクシはそれを、今まで何度も見た事はあるが、こうして空蝉様に誘われるのは久し振りだった。
“一年も、離れていたのですものね…。”
空蝉様と離れていたあの淋しく閑散としたあの一年は、ワタクシにとってとても辛く、耐え難く、とても長く感じたものだった。
何度絶望に押し潰されそうになったことか。
それが、又こうしてお側にいさせてもらってお世話が出来るなんて…。
今の幸せを思うと、あの一年が別世界の出来事の様に思える。
これでいい。このままで、ずっと…。
「行くか。」
そう考えて返事をし忘れていたワタクシに、何もかも見透かしている様に空蝉様が声を掛けて下さった。
空蝉様とは、いつもこうだ。
余計な科白などなくても気持ちが通じ合う。
空蝉様は、ワタクシが返事に困っている時でも、気持ちを察して下さる。
ワタクシも、空蝉様の表情一つで何を考えておられるのか大体察しがつく。
ワタクシ達は、長年共に暮らしている親子にも似た関係なのだ…。
「まあ、綺麗…。」
思わず感歎が洩れていた。
ゆうるり、ゆうるりと優雅に舞う、蛍火…。
一つ、二つと眼前をまるでワタクシ達を歓迎してくれているかの様に蛍たちが飛び交っていった。
「美しいですわね…。」
「だから、お前はそう名付けられたのだろうな。」
岩に腰を掛けたワタクシの斜め前で腕を組み蛍を眺めながら空蝉様がそうおっしゃった。
「蛍火。」
「はい?」
「あの青年に、何か言われたのではないか?」
彼に言われた事、彼との会話を逐一報告している訳ではないのに、空蝉様はまるで知っているかの様にぽつりと一言切り出した。
それからどれくらいの時間が流れたのだろう。
空蝉様は痺れを切らさないでワタクシの返答を待っていた。
言いたくなかった。空蝉様にだけは知られたくないと思っていた。何故自分はこんな風に思うのだろうと考える余裕すら持てない程返答に戸惑った。
そして、長い沈黙の後、漸く返事を考え付いたワタクシは、一言こう言った。
「甲賀に、来ないか、と。」
彼に言われた事は言いたくなかった。だからワタクシはこう言った。何も言われていないと嘘をついても空蝉様には分かってしまうからだ。
「ほう。」
空蝉様は、振り向きもしないで感心したかのようにぴくりと身体を反応させた。
「それで、それから、何を言われた?」
「…。」
最早何も言う事が思い浮かばなかった。彼に言われた事は言いたくない。けれど“何もない”と言っても嘘だとばれてしまう。ワタクシは言う事がなくなってしまった。
これ以上尋問されるのが恐くなった。
この自分の気持ちが一体何なのかワタクシはこの時はまだ分からなかった…。
けれど、そんなワタクシのささやかな抵抗は空蝉様の一言で無駄になってしまった。
「もしかすると、共に暮らそう、と言われたのではない、か?」
図星だった。言いたくなかった事、知ってほしくなかった事を、隠し通していたのに、空蝉様に言われてしまった。
この人にだけは、知られたくなかった。
自分ではいつもどおりに振舞っている積りだったのに、知らない内に心を見透かされていた。
「それで、お前は、どうするのだ。」
矢張り背を向けたままでぽつり、と付け加えた。
「どう、も、しません…。ワタクシは、此処を、空蝉様の側を離れる気は毛頭御座いませんから…。」
正直な自分の気持ちだった。ずっと、此処に、居る。そう心に決めて帰ってきたのだから。その心は今でも変わらない。
ワタクシは空蝉様を父の様に慕っている。初めて会った時から今まで。空蝉様もワタクシと同じ気持ちだと思っていた。
だけど…。
「蛍火。抗争は、もう終わったのだぞ。そろそろ自分の、女としての幸せを考えてもよいのではないか?ワシの事なら気にするな。ワシなら五つの時から一人は慣れておる。大丈夫じゃ。」
空蝉様はそう少し笑ってそうおっしゃった。ワタクシを、安心させる様に。
「女など…。ワタクシは、当の昔に捨てております。」
きっぱりと、そう言った。もうこれ以上空蝉様に余計な事を言われたくなかった。
「そんな事を言うな。お前が幸せになればワシも嬉しいぞ。」
「ならば一生お側に居させて下さい。ワタクシの幸せは、空蝉様のお側に居てお世話をすることで御座います。」
自分でも素直に言えている事に驚いた。こんな風に自分の感情や考えを素直に表現できるなんて。
空蝉様、彼の前ではワタクシは冷酷な仮面が剥れてしまう。
彼に捨てられたくない、その一心でワタクシは必死になってしまっていた。
「然しな、蛍火。あの青年は、なかなかいい若者じゃぞ。きっと、お前を一生大事にしてくれる。生きる世界も同じだ。夫婦になればきっと上手くいくだろう。ワシはそう思うぞ。」
「空蝉様…。」
何故空蝉様はこんなにも彼とワタクシをつがわせたがるのだろう。
もしかしたら空蝉様は、ワタクシを疎ましく思って、厄介払いがしたくなったのかもしれない。それでワタクシにこんな話をするのかも。もしかしたら、誰か好きなご婦人が出来て、その方と一緒になりたくて、側にいるワタクシを追い払いたいと思っているのかもしれない。
…そう思うとワタクシの胸がきゅんと痛くなった。
気が付くと目の前は滲んだ蛍火のみが静かにゆっくりとその動きを見せるだけになっていた。
ぽつり、ぽつりとワタクシの胸に小雨が降る。ぽつり、又ぽつりと。
ワタクシは、空蝉様にとって邪魔なだけの存在…?
ワタクシは、空蝉様の側に居ては迷惑…?
空蝉様は、ワタクシが鬱陶しくなった…?
苦しい。胸が苦しい。きゅうと締め付けられる様な感覚が走っていた。とても、苦しい…。
それでも、ワタクシは、空蝉様に想いを伝えたくて、声を絞り出した。
「蛍火は、空蝉様を本当のお父様の様に、お慕い申し上げておりますのに…。」
必死に搾り出した気持ちだった。分かって欲しかった。例え空蝉様に疎まれても、それでも気持ちを分かって欲しかった。
だけど、次に聞こえた科白は、ワタクシの予想を裏切ったものだった。
「娘ならば、一生父の側にはおらんぞ。…お前は、誰とも、つがわんのか…。親不孝じゃのう…。」
「嫌で御座います…。蛍火は、一生、空蝉様のお側に居とう御座います…。お願いで御座います…。ワタクシを無理に他所の殿方に嫁がせようとしないで下さいませ。蛍火は、辛う御座います。一生、空蝉様のお側に居たい。蛍火は、こんなにも、こんなにも、空蝉様をお慕い申し上げておりますのに…。」
うっ、うっ、と情けない程自分のすすり泣く声が聞こえた。
もう駄目なんだ、もう空蝉様はワタクシを疎ましく思って無理に嫁がせ、厄介払いをしようとしている、もうお側に居させて貰えない…そう思えば思う程涙が梅雨の雨の様に休みなく零れ落ちて最早止める術がなかった。
明日からどうして生きていけるだろう。
空蝉様無しでこの世を生きて何になるのだろう。
ワタクシの心も視界も闇に覆われ耳には自分の泣き声しか聞こえなくなっていた。
ワタクシの世界は文字通り暗闇に変わっていた。
だから次の科白がワタクシにはよく聞こえなかった。
「ならばワシとつがう、か。」
その科白が夢か現か確かめたくて思わず顔を上げたワタクシのすぐ目の前に、空蝉様のお顔が、あった。
何となくそうしないとすぐにはははと明るく笑って誤魔化されそうな気がした。
だからワタクシはすぐに目を閉じた。
その科白に、応える様に…。
ゆっくりと、肩に空蝉様の手の感触が暖かく圧し掛かった。
そして…
“そこ”に、彼の“それ”が、触れた。
ワタクシは、まるで初めての様に震えてしまった。
空蝉様が、ワタクシに、口付けして下さるなんて…。
夢みたい…。
そうだ、空蝉様のおっしゃる通り、娘なら、父親の側に一生居たい、なんて思わない。
空蝉様に口付けされて、ワタクシは気付いた。
この想いが、“恋”であったと。
ずっと、気付かなかった。
気付こうともしなかった。
三十歳もの年の差に惑わされていた。
ワタクシは、空蝉様に、“恋”していたのだ。
だから、一生側に居たいと思った。
だから、追い払われるのが恐かった。
だから、彼の事を知られるのが恐かったのだ。
こんな単純な事なのに、気付くのが遅くなってしまった。
随分遠回りをしてしまった。
好きです、空蝉様…。
愛しています…。
自分の中にこんな感情が又芽生えるなんて。
昔、好きだった男に言われた事が原因でずっと捨てていた感情…。
“恋”
空蝉様と出会って又ワタクシの胸に戻ってきていたのね。
長い事それに気付かなかったわ。
きゅんと、甘いときめきがワタクシの胸を締め付けている。
さっきまでのあの絶望の痛みでなく甘く切ない胸の痛み…。
止める事は出来そうにない。
もう迷わない。
返事も、決まったわ。
ワタクシは、空蝉様のお側に、ずっと、居る。
今、ワタクシに口付けしているこの殿方の側に…。
この遅咲きの恋、決して手放さないわ。
「…ん…。」
思わず吐息が洩れた。
空蝉様の口付けは、無骨そうな外見に似合わず繊細で上手だった。
ゆっくりと動かす唇に自分の唇を預ける。
少し髭がちくちくするけれどそれも心地いい。
不揃いに生えている無精髭も、ワタクシにとっては空蝉様の“男”を感じさせる魅力の一つだから。
空蝉様…。
中年らしく、ぽんと突き出たお腹も、白髪交じりの頭も、空蝉様の全てがワタクシには魅力的に見える。
空蝉様の全てがワタクシは好き。髭を生やしたお顔もとても凛々しくて男らしくて素敵だ。
そして何よりワタクシは空蝉様の心が好き。
どうしてこんな方が陰などに入ったのかと疑問に思うくらい空蝉様はお優しい。お優しくそして厳しい。
それが空蝉様。だから皆も慕うのね。
ふうと一息つく様に彼の唇がワタクシから離れた。
ここぞとばかりに空蝉様に想いを伝えた。
「空蝉様、お慕い申し上げております。好きです。先ほどの科白、冗談にはしないで下さい…。」
「すまん、蛍火。」
ワタクシを、ぎゅうと抱き締めながら、空蝉様はぽつりと言った。
「何故、謝るのですか…?」
「お前と暮らすようになってから…お前にあらぬ思いを抱くようになって…それで…ワシの手でお前を汚す前に…お前を嫁にやれたら…と思っていたんだ。すまん…。」
更にワタクシを抱いている力を強めて、そう言った。
「謝る事は御座いません。その思い、果たして欲しゅう御座います…。」
そう言うと空蝉様は、目を丸くしてワタクシの瞳を覗いた。
「蛍火…。」
「空蝉様…。」
見詰め合うワタクシ達の心には、“恋”という想いが占め、その想いが二人の頬を染めた。
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