時は江戸時代。 徳川幕府の治める平和な世が続いていた。 然し、その歴史の裏では、鳴鏡と捨陰の、血で血を洗う抗争が続いていた。 鳴鏡館は、表向きは普通の総合剣術道場だが、実は対捨陰党戦力として”陰”という暗殺集団を組織していた。 そして、その”陰”の中に、一人の美少女がいた。 彼女は、”陰”でありながら踏鞴神社の巫女でもあり、そして鳴鏡心当流創始者向原神和斎に”陰”の創立を依頼した巫女、春雷(しゅんらい)の子孫でもあった。 彼女は透ける様な白い肌にはっきりとした目鼻立ちの、誰が見ても美女と認める、御門に瓜二つの美しい少女であった。 そしてその日、彼女は、村娘に身を窶して竹薮に竹を取りに来ていた。処が途中で草鞋の鼻緒が切れてしまい、閉口してしまった。 「草鞋が…。斯様な事なら、草鞋の直し方位、習うておけば…。」 彼女は、困り果てた。そして、もうすぐ日も暮れようとしていた。其処へ、突然誰かが声を掛けた。 「其処な娘、如何致した?」 彼女は、声のした方を振り向いて、思わずはっとしてしまった。 其処には…女と見紛うばかりに美しく、それでいて凛々しい一人の少年が立っていたのだった。 彼女は、その少年の美しさに一瞬我を忘れてしまった。そして…一目で恋に落ちてしまったのだった…。 「草鞋の鼻緒が切れてしまい、困っておりました…。」 「ならば、我に貸してみよ。」 少年は、にっこりと優しく微笑んで、娘の草鞋を取り、器用に直してしまった。 「ほれ、これで安心じゃ。」 「申し訳御座いませぬ。…助かり申しました。」 「では、もう日も暮れかけじゃ。気を付けての。…そうじゃ、そなたの村は近いのか?女子独りでは危険であろう。送って差し上げよう。」 「いいえ。結構で御座います。私の村は、この近くで御座います故。」 本当は、余り近くなどなかった。が、他所者を鳴鏡館の近くまで来させる訳にはいかなかったので、彼女は渋々断った。然し彼女は、少年とこれっきりになってしまうのが惜しくなり、もう一度逢い見える為の口実を考えた。 「では…さらばじゃ。」 「お待ち下さい。何か…お礼がしとう御座います。せめて、御名前を…。」 「礼などよい。大した事では御座らぬ故。」 少年は、名を語ろうとはしなかった。 「然し、それでは私の気が済みませぬ…。何か…私に出来る様な御礼をしとう御座います…。」 「そう…か。では…。」 そう言って少年は、足元に咲いていた可愛らしい花を二輪手折り、一輪を少女に差し出し、言った。 「この花の枯れる頃、又我と此処で逢うて下され。」 少女は、嬉しさにぱっと顔が綻んだ。 「約束で御座いますよ…。」 「約束じゃ…。」 少女は、胸の高鳴りを覚えながら、少年の後姿を見送った…。 それから、少年と少女は、同じ場所で何度も逢い見えた。 そして、いつしか二人は激しい恋に落ち、若い情熱に身を任せ、男女の契りを交わすまでとなった。 だが、二人とも名を語ろうとはしなかった。 唯少女は百姓の娘だと偽り、少年は商人の倅だと言った。 二人には名などどうでもよかった。 それ程、二人の絆は深くなっていったのだった。 名前などという表面上の看板より、今目の前に居る互いだけが今の二人の真実だった。処が…、 その日、少女は捨陰党襲来の騒ぎに、急ぎ守りに付いた。 彼女には、鳴鏡館と鏡家の末裔を守るという義務があった。 そして少女は敵を迎え撃つ為、薙刀を手に取り、鳴鏡館を後にした。 すると、森の中で突然一人の敵に襲われ、刃を交える事となった。相手は覆面をしていた為、顔ははっきり見えなかったが、若い男の様であった。 そうして少女は、その敵の攻撃をかわし、身構えた。 処が敵は、少女の顔を見た途端、青ざめてしまった。 「そなた…!まさか…!?」 その若い男は、思わず呟いた。 「その声…ま、まさか…!?」 少女は、聞き慣れた声に愕然とした。まさか、そうでなくて欲しい、そう思った。 だが予感は的中した。その敵は、覆面を外し、顔を見せた。 その若い男は紛れもなく、幾度となく逢瀬を重ね、契りを交わしたあの少年だった…! 二人は、暫く驚愕の余り言葉も失くし見詰めあった…。そして、少年がその沈黙を破った。 「まさか…まさかそなたが鳴鏡館の手の者であったとは…!百姓の娘とは、偽りであったか…。」 「私は、鳴鏡の”陰”の一人に御座います。貴男様こそ、商人の御子息とは嘘偽りで御座いましたのね…?貴男様の正体は…一体…?」 「我は…我こそは捨陰党柊家が嫡男じゃ…。」 「柊家?では…総帥の御子息?」 「左様…!」 少女は、迷った。 斬りたくない…! でも、鳴鏡館の巫女として、目の前に居る敵を斬らなくてはならない…! …そして、少女は一つの決断を下した。 「お覚悟!!」 少女は、少年に斬り掛かった。 そして少年は図らずも、幼少より鍛え抜いた条件反射で思わず少女を斬ってしまったのだった…。 然し、少年は無傷だった。 何故なら、少女の薙刀の刃は、少年を掠めただけで、少年を始めから斬る気などなかったからであった。 少女は、少年に自分を斬らせる為に、わざと斬り掛かる振りをしたのだった…。 「しっかり致せ!!」 少年は、少女を抱き抱えた。だが、傷は致命傷だった。 「…生きて…下さいませ…。私の分まで…。私は…来世で再びお逢い出来る事…信じております…。」 そして、少女は少年の腕の中で、息絶えた。 「我は…我は…!!何という事を…!!」 少年は、少女の亡骸に縋って泣いた。 「我は…我は…最早生きる理由などない。我にとってはそなたが全てだった…!必ずや…来世で再び逢い見えようぞ…。」 そう言って少年は、自らの刃に倒れ込んで自害した…。 そこまで見て御門はベッドの中で目を覚ました。寝覚めの悪い夢…。 魘されていたのか、全身に汗を掻いて、涙も頬を伝った。 「又…同じ夢…。」 そう、御門は小さい頃から、この夢を何度も見ていた。唯、少年の顔だけはぼんやりとしていて、唯美少年という印象のみで、顔はよく判らないものだった。 だが、今夜の夢だけは違っていた。その少年の顔は、紛れもなく自分のよく知っている少年の顔とそっくりだったのだ…! 御門は、嫌な予感がしたが、 「まさか…ね。だって彼は今は鳴鏡側の人間じゃない。そんな事、ある訳ないわ…。」 御門は、自分にそう言い聞かせた。 実は、幼少の頃より、この夢の中の少年が、いつしか御門の理想の男性になっていたのだった。 そして、今密かに想いを寄せている少年の顔と今夜夢に見たあの少年の顔が、余りにもそっくりだったのだった…! その翌日が決戦の日となった。そして…御門の嫌な予感は的中した。御門の想い人は、夢と同じく捨陰党の血を引く男だった…! そして、夢を見ていたにも拘らず、今度は、自分が、夢の中の少年と同じ様に愛しい者を手に掛けてしまったのだった…! 「これで、いいんです…。」 辰美は静かに目を閉じた…。 自分が鳴鏡の宿敵の血を引く人間だと知った時、彼の戦意は喪失した。呆然自失したままふらふらと歩いていた彼に、耳慣れた女の声が聞こえた。 「辰美クンも、鳴鏡の大切な一員なのよ…。」 どうやらサザンカと話をしているらしかったが、その言葉を聞いた時、彼はとても大きなショックを受けた…。 (僕は…御門さんにとって、その程度の人間なんだ…。唯の鳴鏡の人間。大切なのは、鳴鏡を守る為に必要だという事だけなんだ…。それに、あの墨流という男…。聞いた所に依ると、あの名前は御門さんが付けたらしい…。僕の入り込む余地なんか無いじゃないか…) そう思いながら、彼は近くに居たにも拘らず、御門の前に姿も見せず、そのままふらふらと蛇恍院を目指していった…。 彼が死を選んだのは、勿論鳴鏡を守りたいという理由もあった。 だが、それは彼の心の半分”陽”の部分に過ぎなかった。 彼の秘められた想い、誰にも知られていない”陰”の心は、紛れもなく御門への想い、失恋の痛手であったのだ。 (どうせ僕は御門さんに男としては必要とされてないんだ…。生きてても…僕は…。それに、捨陰党の人間である僕が居なくなれば、御門さんを守れる…) そう思って、彼は薙刀を手にし、自ら死を選んだのだった…。 目の前に起こった出来事を信じられないと思いつつも、御門は泣いた。泣いて泣いて、涙が涸れて木乃伊になりそうな程、泣いた…。 「”いいんです”って…。よくないわ。どうして貴男が死ななきゃならないの…。貴男が何をしたっていうの…。私は、一体何の為に戦ってきたの?貴男を殺す為なんかじゃないわ。私…私は、この戦いが終わったら貴男に思いを打ち明けようと思っていたのに…。私が何度も見てる同じ夢…。やっと思い出したのよ。あの夢の恋人の顔が、貴男にそっくりだって事に。やっと思い出せたのに、どうして、貴男が死ななくてはならないの…。嫌よ…。嫌…。」 御門は辰美の亡骸に縋った。そして、又泣いた…。 暫くの号泣の後、御門は涙で濡れた瞳を拭きもせず、ゆっくりと辰美の顔を眺め直した。 「辰美…クン…。」 目の前に横たわる、この世で最もいとおしい男の骸…。血塗れだという以外は、まだ死後硬直も始まっておらず、唇にも薄らと血の気が差して、まるで眠っている様だった。 御門は、震える指でそっと辰美の唇に触れてみた。 そして、髪…烏の濡れ羽色の、さらさらとしていて、柔らかくて、美しい髪へと指を滑らせた。その指を、今度は首を通って胸へと移動させた。 …何かある!辰美のもう一つの武器は小太刀であるから、武器ではない。上着のポケットの中に、何かあるのだ。 少し躊躇ったが、御門は上着を捲って中のものを出してみた。…何とそれは、写真だった。然も、全部御門が写っていた…。 「辰美クン…いつの間に、こんなもの…。生きてたら、問い詰めてやるのに…。」 御門は、気が触れていたのか、目に涙を浮かべつつ、口の端に苦笑を浮かべた。然し、その笑いも、瞬く間に消えた…。 (こんなもの持ってるなんて…。もしかして彼も、私の事…?) 知らなかった。鈍い鈍いと人からよく言われていたが、まさかここまで鈍かったとは。 辰美の気持ちに少しも気付いてやれなかった自分が腹立たしくなった。 「そう…だったの…。」 まだ、ピンクがかった辰美の男らしく引き締まった唇に、御門は自分の唇を押し当てた…。 (最初で最後の…キス…) 胸まで届いた指を、今度は少し下に滑らせた…。辰美の、あの部分に、躊躇いがちに触れてみた…。 遺体にこんな事するなんて、普段の自分では絶対に考えられない事だが、妙に普通に、今はそういう事ができた。 次は…。足…。日本人とは思えない程、とても長い。然も適度に筋肉が付いていて、とても男らしく、そして美しかった。 「辰美…クン…。」 御門は、いとおしそうに目を細めながらそう囁いて、さっき指が辿ったルートを、今度は唇で辿った。髪、唇、胸、それに…辰美の最も男らしい部位にも…。 御門は、唇を付けているから、当然ながら、辰美の身体に、特に唇に、ほんのり唇が移ってしまった。 「皆が見たら、きっと私の事、変に思うわね。」 そう言いながら、御門はふふっと笑った。 だが笑った御門の瞳に、又涙が溢れた。 そして、辰美をいとおしく思う気持ちと、悲しみが、彼女の胸を押し潰そうとしていた。 …そして御門は…決心をした…。 「辰美クン…ありがとう。この長い戦いを終わらせてくれて。さっき貴男に言った、”忌まわしい定め”に私は生まれた時からずっと縛られていたの。私は生まれながらにして巫女として鳴鏡館を守る義務を負っていたの…。その義務から、貴男を参戦させたのよ。本当は…本当の事を言えば、貴男だけは危険な目に合わせたくなかった。貴男を…死なせたくなかったから。これが、この心が私の”陰”の部分だった。私は今迄その”陰”の部分を曝す事は、それに従う事は許されなかった…。だから、サザンカの前で取り乱してしまった自分を誤魔化す為に、”鳴鏡の大切な一員だ”って慌てて付け加えたのよ。でも、私は、この戦いを終わらせて、貴男に一人の女として接したかった…。なのに…こんな事になってしまうなんて…。でも、でも、今、やっと私は…この戦いが終わったお陰で私は…やっと、自分の身体を、自分の命を、自分の為に使う事ができる…!やっと、唯の一人の女として、自分の生死を、決定する事ができる…!私の…一生一度の我儘…許して…皆…!」 御門の指が、もう一度、辰美の髪を撫でる。いとおしそうに、何度も、何度も…。 「言えなかったけど、今なら言える…。愛してるわ、辰美クン…貴男だけを…。」 御門は、薙刀の刃を自分の喉元に向け、そして、思い切り突き立てた…。確実に、失敗しない方法を彼女は取りたかったのだ。だから、思い切り突き立て、そして、抜いた。 鮮血が、目の前に溢れる…。 (私の血…もっと流れて…辰美クンの所へ連れて行って…) 辰美の血と、御門の血が、混ざり合う…。 混ざり合った二人の血は、二人の側で大きな赤い湖を作った。 …不思議と痛みは感じなかった。 それより寧ろ、やっと、運命から、血の定めから解放され、愛しい男の後を追って死ねる、その喜びで一杯になった…。 御門は、ふらりと倒れ、辰美に寄り添う様にして、息絶えた…。 彼女は、もう鳴鏡も捨陰もない、平和な世の中で一緒になれる事を願い、愛しい男の元へと旅立って行ったのだった…。 三人の遺体を最初に発見したのは、空蝉だった。彼は、三人の脈を取ってから、急いで皆に知らせに行った。 大きなショックと、動揺を抱えながら。 三人を斬ったのはどうやら御門一人らしい、というのは判ったが、総帥は兎も角、何故辰美と御門が死ななくてはならなかったのか、皆はどう考えても判らなかった。 だが、一人だけ、何が起こったか想像のついた者が居た。空蝉である。 だが彼は、辰美が総帥の息子だったという事は、誰にも言わなかった。 (恐らく、御門が大納を斬った後、辰美は現れ、御門に自分を斬らせ、自害したのだろう。だが、何故御門が…?辰美を斬った罪悪感からか、それとも責任を感じたのか、それとも…?そういえば、辰美の遺体に数箇所付いていた明らかに血とは別の赤い跡…。それに、血塗れでよく判らなかったが、あの写真に写っていたのは…御門…の様だった…。まさか…。こんな形で添い遂げる事になるとは…。何とした事だ。辰美、御門、すまん…。儂が大納を倒していたら、こうはならなかったかもしれないというのに…) その後、二人の亡骸は、空蝉の計らいによって鳴鏡館の程近い場所に二人並べて葬られた…。 終 |
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